沖縄県立博物館・美術館がオープンしました。
まずは関係者と沖縄県の皆様にお祝い申し上げます。
http://www.museums.pref.okinawa.jp/index.html
ここに私の祖父、當原昌松の紹介がされています。
http://www.museums.pref.okinawa.jp/art/artists/painting/touhara_masamatsu/index.html
祖父は沖縄の久米島出身の画家でした。
ただし私は会ったことがありません。父でさえ記憶がない程若くして亡くなっているのです。
それでも私にとって祖父の存在は大きなものでした。
なぜなら身近には常に祖父の残した作品があったからです。
なんとなく子供のころから絵を描くような仕事がしたいなあ〜なんて思っていたのですが、高校生くらいになっていざ進路を考える時、『おじいちゃんが芸術家なんだから自分にも才能はあるはずだ』と信じて美術の道を選びました。祖父が画家ではなかったら、今は別の事をやっていたかもしれません。
祖父が画家を志して上京したのは大正時代です。
その時代に沖縄の小島から東京に出てくることはどれだけ大変な事だったでしょうか。
それに比べれば今東京からイタリアに行くことなんて何も難しいことではない、と私がイタリアに留学する前に考えたりもしました。
祖父は33歳の時に病で亡くなったそうです。
国画展にも入選するなど徐々に才能は認められ、また作家の海音寺潮五郎さんとは古くからの仲で、当時既に売れっ子だった海音寺さんから次作の挿絵を依頼されていたそうで、正に芸術家としてこれからという時に死んでいった祖父の無念さはいかほどだったでしょうか。
私が学校を卒業し、就職が決まってデザイナーとして一歩を踏み出す時、父が古いデッサン帳を私に渡してくれました。
『これからおじいちゃんの意思を継ぐのはおまえだ』
祖父のデッサン帳で父が大事に保管しておいたものです。
そこには祖父の自画像が鉛筆でラフに描かれていました。
会ったことのないおじいちゃん。でもその絵を見るととても近くに居る気がします。
当たり前ですが残っている作品はすべて33歳以前に描かれたものです。
自分がその歳に近づくにつれ、益々その偉大さを感じ、その歳を超えてしまった今でもまだ足下にも及ばない自分にとって、祖父は永遠の目標なのかもしれません。
世の中に出る前に埋もれてしまった祖父の作品が、没後70年も経ってから沖縄県立美術館の『沖縄県出身の作家の作品を収蔵する』というコンセプトによって日の目を見ることになりました。
孫の私にとっても大変ありがたく、うれしく、誇りであります。
それと同時に芸術の力ってすごいんだなーと改めて思うのでした。
貴重な當原昌松のデッサン帳。なんと子供時代の父が落書きをしてしまっている!(赤鉛筆で描かれたところ)